一回限りのオケに参加してきました
先日のことになりますが、一発オケの演奏会本番に出演してきました。
オルケーストル・ウリープカというオケでした。
昨年、ヴィオラの練習を再開し、以前の記事でも書いた高校オケの記念オケ(
)が終わったあと、どこか所属するオケを探そうと思って探している最中に、見つけたオケ。
ネットから応募して参加。
継続的に所属するオケを決めるには、もう少し色々なオケを見学してみたいし、かといってなにか演奏会にも乗りたいし。。。と思っているところへ、ラフマニノフの交響曲2番をやるというところに目が行き、練習日程なども都合がつきそうだったので参加しました。
(このオケ自体の目的はハチャトゥリアンのバイオリン協奏曲をやるのが本来の目的ですが)
ラフマニノフ交響曲2番は大学2年のときに1回やりました。しかしそのときは難しすぎて、若干トラウマになっており、いつかリベンジしたいと思っておりました。
2回目なので、重点的に練習しなければいけない箇所や曲全体の理解も深まっているはずでしたが、それでもなお難しい!
改めてといか、2回目にしてようやく、「ラフマニノフは難しい」というのを理解した気がします。同じ「難しい」でもただただ難しいとしか思っていなかった1回目と比べれば、「難しいということを理解」したので、少しは成長したのかなと。
難しかったですが、全体的に1回目よりは弾けたので、そういう意味ではトラウマは少し克服できたかなと思います。
一発オケとはいいつつも、一応母体のオケ、オーケストラ・ソリーソからのスピンオフ的なオケだったので、大半のメンバーは中心メンバーからの知り合いの人たち。その他自分のように、全くの知り合いなしにネットから応募した人も。
なので、本来であれば一人も知り合いはいないはずでしたが、知り合いの知り合いがいることが判明。
改めて世界は狭いなと思いました。
このオケで全く新しく知り合いになった人もいたりして、この狭い世界、またどこかで会うんだろうなということはそれほど想像に難くない。
そうやってまた仲間が増えました。
そうやって、ふらふらしながら、新しい人間関係を築いていく、その集団に溶け込んでいくのは、楽しいです。
コミュニケーション能力は低いのにね笑)
Skleranを使ってみる2
以前、といってもかなり前になってしまいますが、『
』という投稿で、『実践 機械学習システム』という本を読み進めようとしていましたが、かなり間があいてしまいましたが、続きをやっていこうと思います。
前回、とりあえず以下のコードが動きました。
from matplotlib import pyplot as plt
from sklearn.datasets import load_iris
import numpy as np
data = load_iris()
features=data["data"]
feature_names=data["feature_names"]
target=data["target"]
target_names=data["target_names"]
labels=target_names[target]
for t,marker,c in zip (xrange(3),">ox","rgb"):
plt.scatter(features[target == t,0],features[target == t,1],marker=marker,c=c)
とりあえず、この先
for t,marker,c in zip (xrange(3),">ox","rgb"):
plt.scatter(features[target == t,0],features[target == t,1],marker=marker,c=c)
の部分は使わないので、コメントアウトするなり消すなりしておきます。
from matplotlib import pyplot as plt
from sklearn.datasets import load_iris
import numpy as np
data = load_iris()
features=data["data"]
feature_names=data["feature_names"]
target=data["target"]
target_names=data["target_names"]
labels=target_names[target]
#for t,marker,c in zip (xrange(3),">ox","rgb"):
#plt.scatter(features[target == t,0],features[target == t,1],marker=marker,c=c)
で代わりにコードを継ぎ足して以下のようにします。
from matplotlib import pyplot as plt
from sklearn.datasets import load_iris
import numpy as np
data = load_iris()
features=data["data"]
feature_names=data["feature_names"]
target=data["target"]
target_names=data["target_names"]
labels=target_names[target]
#for t,marker,c in zip (xrange(3),">ox","rgb"):
#plt.scatter(features[target == t,0],features[target == t,1],marker=marker,c=c)
###追加した部分
plength=features[:,2]
is_setosa=(labels=='setosa')
max_setosa=plength[is_setosa].max()
min_non_setosa=plength[~is_setosa].min()
print("Maximum of setosa:{0}".format(max_setosa))
print("Minimum of others:{0}".format(min_non_setosa))
一行一行説明していきます。
plengthの行
まず、plengthの行は、生データから花弁の長さ(plength)の値だけからなる新しい配列を作成しています。
前回、Irisデータセットは辞書型配列になっていて、その"data"要素には生データの一覧がarray型で格納されているということを確認しました。
それで、そのdata要素をfeaturesという変数に格納しました。(なので当然featuresにも生データが入っている。)
featuresの中は特徴量がarray型としてデータ別に入っているわけです。各要素の3番目の要素(インデックスとしては2番目)には花弁の長さの値が入っているので、インデックス2番目だけをすべて抽出して、plengthという変数に配列として格納しますよ、という意味。
厳密に言えば、plengthの型はarray型です。気になるようであれば、print(type(plength))として確認する。
plengthの部分だけ確認するのであれば、print(plength)を一番最後に追記しておけば、本当かどうか確かめられる。
from matplotlib import pyplot as plt
from sklearn.datasets import load_iris
import numpy as np
data = load_iris()
features=data["data"]
feature_names=data["feature_names"]
target=data["target"]
target_names=data["target_names"]
labels=target_names[target]
#for t,marker,c in zip (xrange(3),">ox","rgb"):
#plt.scatter(features[target == t,0],features[target == t,1],marker=marker,c=c)
###追加した部分
plength=features[:,2]
is_setosa=(labels=='setosa')
max_setosa=plength[is_setosa].max()
min_non_setosa=plength[~is_setosa].min()
#print("Maximum of setosa:{0}".format(max_setosa))
#print("Minimum of others:{0}".format(min_non_setosa))
print(plength)
print(type(plength))
これを実行すれば、
[ 1.4 1.4 1.3 1.5 1.4 1.7 1.4 1.5 1.4 1.5 1.5 1.6 1.4 1.1 1.2
1.5 1.3 1.4 1.7 1.5 1.7 1.5 1. 1.7 1.9 1.6 1.6 1.5 1.4 1.6
1.6 1.5 1.5 1.4 1.5 1.2 1.3 1.5 1.3 1.5 1.3 1.3 1.3 1.6 1.9
1.4 1.6 1.4 1.5 1.4 4.7 4.5 4.9 4. 4.6 4.5 4.7 3.3 4.6 3.9
3.5 4.2 4. 4.7 3.6 4.4 4.5 4.1 4.5 3.9 4.8 4. 4.9 4.7 4.3
4.4 4.8 5. 4.5 3.5 3.8 3.7 3.9 5.1 4.5 4.5 4.7 4.4 4.1 4.
4.4 4.6 4. 3.3 4.2 4.2 4.2 4.3 3. 4.1 6. 5.1 5.9 5.6 5.8
6.6 4.5 6.3 5.8 6.1 5.1 5.3 5.5 5. 5.1 5.3 5.5 6.7 6.9 5.
5.7 4.9 6.7 4.9 5.7 6. 4.8 4.9 5.6 5.8 6.1 6.4 5.6 5.1 5.6
6.1 5.6 5.5 4.8 5.4 5.6 5.1 5.1 5.9 5.7 5.2 5. 5.2 5.4 5.1]
こうなる。
is_setosaの行
次にis_setosaの行。
まさにリスト内包表記を使っている例。
前回でlabelという変数に、どのデータがどの花なのかという名前の対応リストを格納しました。
(label=='setosa')で、labelの中の名前の一覧と比較してsetosaに一致していればTrueを、そうでなければFalseを返してTrueかFalseから成る配列を生成しis_setosaに格納します。
もっとスマートにいえばブーリアン配列を生成するということです。
確認するには、例のごとくprint(is_setosa)を追記して実行すればいいです。面倒なのと、若干くどい気もするので、ここは省略。
max_setosaの行
次にmax_setosaの行へ行きます。
plength[is_setosa]の意味ですが、ブールインデックス参照という書き方です。
is_setosaがTrue or Falseからなる配列であることを上で書きました。そういうブーリアン配列をインデックスとして代入すると、plengthの要素の中からブーリアン配列のTrueに対応している要素だけを抽出して新しい配列を作成します。
Trueになっているのはsetosaのところでしたので、setosaに対応している花弁の長さだけが抽出できます。
plength[is_setosa]という名前の新しい配列なので、それにmax()メソッドを使っている。
つまり、setosaの花弁の長さの中で一番値が大きいものを、max_setosaに代入。
min_non_setosaの行
この行も、先ほど使ったブールインデックス参照が使われてます。
今度はsetosa以外のものの最小値を求めています。
setosa以外、ということはis_setosaにおいてはFalseにあたるものです。
Falseのままではブールインデックス参照ができないので、「~」演算子を使ってビット反転させis_setosaのTrueはFalseに、FalseはTrueにしてして代入しています。
printの行
最後は、処理というよりは、単純にpythonの文法ですが、一応自分なりに説明しておきます。
これは文字列に対するformatメソッドです。
調べてみると、formatメソッドにもいろいろ描き方のバリエーションがあるようですが、おそらく基本的な描き方は以下の形式かと思われます。
'文字列'.format(要素0,要素1,・・・)
ドットより前の文字列の中に、formatに引数として渡されている要素のインデックスの番号を代わりに代入して、最終的な出力文字列の体裁だけ整えるイメージです。
上記の"Maximum of setosa:{0}".format(max_setosa)とかであれば、この場合はformatメソッドに渡している要素が一つだけなので、それがインデックス0番目ということになりますが、それを「Maximum of setosa:{0}」という文字列の{0}をmax_setosaで置き換えたものが、結果としてできる文字列です。それをprintしている。
{数字}のところが、その番号に対応しているインデックスの要素で置きかわるという意味です。
詳しくは、下でまとめてあるリンクや本を参照。
で結局のところ、
from matplotlib import pyplot as plt
from sklearn.datasets import load_iris
import numpy as np
data = load_iris()
features=data["data"]
feature_names=data["feature_names"]
target=data["target"]
target_names=data["target_names"]
labels=target_names[target]
#for t,marker,c in zip (range(3),'>ox','rgb'):
#
# plt.scatter(features[target == t,0],features[target == t,1],marker=marker,c=c)
#
#plt.show()
plength=features[:,2]
is_setosa=(labels=='setosa')
max_setosa=plength[is_setosa].max()
min_non_setosa=plength[~is_setosa].min()
print('Maximum of setosa:{0}'.format(max_setosa))
print('Minimum of others:{0}'.format(min_non_setosa))
を実行すると、
hiroshi-no-MacBook-Air:Pro-tr hiroshi$ python3 others.py
Maximum of setosa:1.9
Minimum of others:3.0
という感じになります。
Python 3 の文字列フォーマット formatメソッド | TM Life
NumPy配列のブールインデックス参照 | hydroculのメモ
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個展巡り
今日は(日付が変わってしまったので、厳密には昨日ですが)、個展を2件ハシゴしてきました。
最初は、林典子さんの「ヤズディーの祈り」を見に、銀座ニコンサロンへ行きました。
結構好きで見ているクレイジージャーニーという番組にゲスト出演してらっしゃって、そこで個展の紹介がされていたので、気になって見に行ってきました。
個展というものをみるのが、多分ほとんど初めてなので、他と比較した、イケている感想は言えないのですが、素直な感想を。
イスラム国に襲われ難民となってしまった人達の写真。
疎いことばかりで申し訳ないのですが、世界史とかを学ぶとき、教科書などでは「〜民族が〜民族を侵略した」とかいう感じで、せいぜい数ページ程度でさらっと書かれてしまうけど、当然ですが、現実には侵略する側とされる側がいるわけです。
ミクロな視点でみていけば、集団ではなく一人一人の人間が関与しているわけです。
それぞれの人には、当然それぞれの事情・背景があります。
そういう背景・事情を想像させるような写真たちでした。
林典子さんのブログに記載がありますが、「インパクトのある写真」を外したからそういう風にみえるのかもしれませんね。
見終わったあと、少し周囲をぶらついていたら、近辺には画廊が数箇所固まっていました。
このへんは画廊がたくさんあるなんて意外な発見。銀座くるときは大通り沿いをあるくことが多いので初めて知りました。
その中でも入りやすそうだった、シロタ画廊へ。展示している内容も版画ということで興味があったので。
この期間展示されていたのは吹田文明さんという方の作品。
これまた、自分は全く知らない方。中の紹介文などをみるとその業界では有名な人らしい。
版画とか小学校のときに少しやった程度で、全く疎い。。。
そんな素人でも、好きだなって思ったのが、『銀河を渡る』という作品と『美しき銀河を行く』という作品。
蝶々が星空を渡っていくような作品ですが、木目を利用している作品で、版画だからこそというか、木目の利用の仕方がうまい!と素人ながら思ってしまいました。
個展巡りとか初めてしたけど、なんか楽しい。
美術館とかよりも、その作者ともっと個人的に近づいている気になれるというか、自分だけしか知らない展示会をみにいっている感じとか。
完全に自己満だけど。
小さい画廊へ入るハードルが下がったので、今後も定期的にチェックしてみたいと思う。
というか本当は、今やっているクリスチャン・ボルタンスキーの『さざめく亡霊たち』を見に行きたかったけど、時間がなくなってしまったので予定変更したので、また時間あるときに今度は、クリスチャン・ボルタンスキーを見に行こうと思う。
Violaの一日
今日はほぼ一日、音楽関係の予定をこなした一日でした。
まず、午後から個人レッスンがあったので、午前中から直前の悪足掻きの個人練をするつもりでしたが、起きれず。練習時間はとることはできましたが、大幅削減。
セビシックをやっており、オケの譜面でもあまり出てこないような、新しいボーイングを取り組んでいるのですが、難しい。
ゆっくりのテンポから、しかも「練習の練習」というか、目標の課題に至るまでの事前練習から順を追ってやっているのですが、事前練習すら既に難しい。
結局、ウォーミングアップ程度と感覚の確認程度の練習をしてレッスンへ。
レッスンは30分。今自分は行っているのはボーイングと音階だけ。
いつも先生からは「もう一つなかったっけ?」と聞かれるが、今はこれだけ。よくあるケースでは、それに加えてエチュードもやる人が多いようだが、課題を絞って厳密に取り組むのもそれはそれでいいのではないかとのこと。
しかしいざ始めてみると、ボーイングがやはり難所で30分のうち25分ぐらい使ってしまう。
それでも、やっと、という感じ。
一方で音階はほぼ完成しているので、残り5分程度でチェックのみ。外しがちな音だけいくつかチェック。
レッスン後は、12月にエキストラでのるオケの練習へ。
チャイコフスキー交響曲第5番、今日の練習は2楽章、3楽章。
学生時代に所属していたオケのOBとして参加。練習場所やいろんな用語が懐かしい。
チャイコフスキー5番も学生時代に一度やったことがあるが、技術力があがった今みるとまた違った風景が見えてくる。
日々の進歩は微々たるものなので、停滞しているような気もしてしまうが、ふと振り返ると、実は成長しているなと感じて、安心し、自信がつき、そしてさらなる邁進にモチベーションがあがる。
50周年記念演奏会を終えて
つい先日10月30日に、高校の管弦楽団の50周年記念演奏会が終わりました。
なんと来場は家族や招待客などなど含めてではありますが1000人を超えたとのことです。
で、当日ホールにいた方々の中には、観客側にも演奏者側にもいたようです。
演奏者側でいえば、プロオケで活躍していらしたもしくは現在も活躍中の方が乗っておられました。(個人名は伏せます)
一方で観客側には、僕も又聞きではあるのですが、校歌の作詞をされた方ですとか、富士高校の前身である、第五高等女学校の卒業生の方などもいらしていたそうです。
特に校歌では泣いている方もいらしたとか。
そんな素晴らしい演奏会に演者として参加できたのは非常に光栄です。
もっといろいろな方の感想などは僕のFacebookからいろいろ探索したほうが、いろんなものが出てくると思います。
レセプション後の全体写真 |
もう二日経ち、今日は仕事もいったり日常が戻りつつありますが、熱が冷めないうちに、感じたことを書いておこうと思います。
苦手意識
まずは割と軽めの話題から。
僕は大学の時にデュカスの『魔法使いの弟子』をやって以来、8分の6拍子とかで、三つ区切りの音型が続いてところどころボーイングがアップアップが入るパターンが苦手でした。
そのアップアップ自体は割と良くある音型・ボーイングだと思いますが、早いテンポで一連のパッセージのなかで出てくるのがすごい苦手。
ボーイングそのものもそうですが、パッセージ全体としてみたときに、アップアップがどこにくるのかという、法則性のようなものが未だにわかりません。
ボーイングの都合上(どこかをダウンで弾きたいのでとか)少なくともどこかでアップアップを入れる必要があるだろうというのはなんとなくわかるのですが、じゃどこに入れるの?といったことが感覚的にわからない。
だから、いつも最終的に決まったボーイングを腕に刷り込んで対処しているという次第。
本当はあまり理解しないまま、行き当たりばったりで覚えるのはあまりよろしくはないのだとは思いますが。
幻想交響曲も5楽章がまさにそういうパッセージだらけ。
今回この幻想をやったからといってすぐに解決するわけではありませんが、しっかりさらって、本番では意識せず体が反応して演奏そのものに集中できたので、少し自信がつきました。
いつか絶対『魔法使いの弟子』はリベンジしたい。
ゲネプロ |
意識した言葉
今回は節目の演奏会ということもあり、また数年ぶり楽器を再開して一回目の演奏会、むしろこの演奏会のために楽器を再開したという逆転の動機も半分ぐらいあり、思い入れがありました。
久しぶりに楽器を始めるにあたり、テクニカルな部分を思い出すのももちろんですが、心構え的なことも、思い出しながら日々練習してきました。
特に日々頭の中を駆け巡っていたのは、『心は熱く、頭は冷静に』『ゆっくりで弾けないものは速く弾けない、ゆっくり弾ければ速く弾ける。。。かもしれない』『速く正確に弾く訓練(音程もリズムも)』『暗譜してないのは弾けたうちに入らない』『本番で楽しむために苦しむ』
もうなんだかんだ楽器を初めて10年近くなり、本番も何度も経験し、音楽的なこと以外でも成長はしているので、頭は冷静にという部分は、自分なりにコントロールできていたのかなという気がします。
それがベースにあり、難しいパッセージも闇雲に練習するのではなく、テンポが速くなった場合でも対応できる現実的なフィンガリングを考えたりとか、なぜこのパッセージは難しいのかを分析してそれをどう対処すればいいか考えたり、スコアを読んでアンサンブルを理解したり、時にはひたすらメトロノームで少しずつテンポをあげていくといったような地味な練習もこなしたりしました。
本番で楽しむためには地味なことも必要。楽なことだけやっていても上達はしない。
すべてがすべて完全にできたわけでは、ないけれど前進はしているな、したなという実感があります。
魔笛のゲネプロ。自分はおり番で待機中。 |
自分のアイデンティティ
もともとはそんなに深く考えて、この演奏会へ参加表明したわけではありませんでした。
2年ブランクが開いていたので、これ以上ブランクが開くとさすがにやばいかな、そろそろ再開しようかなと思っていたところに、たまたま今回の演奏会の参加募集を見つけたので、景気付けにと思って参加表明しました。
本番に向けて半年ほど練習を重ねていく中、その期間音楽以外のことでもいろいろありました。
8月には29歳の誕生日を迎え、30歳まであと一年ということになってしまい、普段とは少し気持ちが違う誕生日を迎えました。
もうすぐ、20代の10年が終わってしまう、このままでいいのだろうか。そもそもこの10年何をしてきたのだろうか、そもそも「私」は何者なのか。
30歳まで一年を切った焦りも少しあり転職活動なども始めたことなどもきっかけで、考えるようになりました。
そんなことを考える過程で、必然的に音楽(ビオラ)は私にとってどういう位置付けなのかといったことにも考えが及びました。
もっと本番が近づいてくると、演奏会の告知などもし始めます。というより僕が楽器を始めたことも含め報告をすることもありましたし、ここ数年で出会った人については楽器をやっていること自体知らない人もいるので、そういうこともお知らせしました。
特に、僕がビオラを弾くことを知らない人に告知する際は、「なんの楽器をやっているのか」と聞かれます。そのときにビオラをやってますとお伝えするわけです。
そのとき、「ビオラ」以外の楽器を伝えることのイメージが湧かないのです。(バイオリンやチェロを弾けるわけではないので当たり前ですがそういう浅い話ではないような気がします)
ふとそう感じたときに、10年間ビオラとしての役割を果たしたりや立ち回りをしてきたので、そういう精神的な部分まで、ビオラという存在が根付いているのかなと思いました。
そして、改めてビオラをこれからも続けていきたい、またコミュニケーションが苦手な自分としては、第二、第三のコミュニケーションツールなんだからこれを手放さないようにしようと思いました。
自分の力
今までは演奏者側の表側の話。
今回、裏方の方も大変でした。
常設のオケではないので、このために集まった人たちの中で、そのなかで随時役割を分担し、担当外の人でもフォローしあい、係についていない人でも、意見を表明するという形で協力していました。
そのメンバーでこんなにも大きなイベントを行いました。
中心で活動していた人たちは本当大変だろうと思いました。ありがとうございます。
そして自分は何をできただろうかと思う。
仕事なんて探せばいくらでもあったと思う、探そうとしただろうか。
失敗を恐れて動き出そうとしなかったか?そもそも自分は、何で貢献できただろうか。自分の能力はあるのだろうか。
裏方の仕事など、目立ちはしないけど重要な仕事に関する部分では、自分はあまり成長していなかったのかなと、情けなく思ってくる。
裏方作業の方でも、もっと貢献して、運営を回していけるようになる、そういうのが生きるためのスキルなんだろうか。
そういう意味で、周りの人に助けられてばかり。周りの人に喜んでもらえるように、「与えられる人間」になりたいなと思いました。
レセプションは都庁の展望台貸切 |
こんなに大人数が一同に会する演奏会。 |
50年の歴史のうち、一桁の代の方々のご挨拶 |
小松菜とひき肉のオイマヨ炒め
癌に気づかされるクオリア
「痛いの?それとも気持ち悪い感じなの?」
「うぅ、、、りょ、両方、、、」
母の癌が悪化した。今までは家の中ぐらいであればなんとか一人であるけて、一人で用もたせるぐらいは元気があったのだが、それも難しくなり入院となった。
貧血ですぐ倒れてしまう状態にもなっており、入院してからもさらに悪い方向へ進行したようにも思える。
こんなことは考えたくはないが、状態を実際近くでみていても、医者などからの見解などからしても、命の終わりが迫っているのを感じる。
家族、といっても、普段家にいるのは父だけだが、父含め親戚なども、「やばい」というような言葉などで表現はしたり、現実問題として母が安らかに死を迎えられるように環境を整えてあげることは必要なので、それに向けての準備なども進めてはいたのだが、「死」という言葉だけは意図的に避けているように感じる。
自分の身近な人がこういう状態になったのは始めてだから、「死」を薄々感じていても、それを言葉に出さないのが、そういう状況に置かれた場合の普通なのかはわからない。
遠方から祖父や祖母も見舞いに来たりもした。
彼らが帰ったあと、病室に数名が残ったが、そのときに「痛いのか、気持ち悪いのか」聞いてみたら、「両方」と返事が返ってきた。
そばでみていても、辛そうなのは痛いほど伝わってくる。
しかし、それが「どんな感じ」なのかというのは、想像ができなかった。
そんな光景を目の前にしているのにも関わらず、あるいはそんな光景を目の当たりにしたからなのか、どちらが適切な表現なのかわからないが、このとき巷で一時期話題になった「クオリア」の意味が少しわかったような気がした。
クオリアの説明自体は検索すれば、いろいろな説明が出てくるので詳細は省略するが、「あの青い感じ」、「頭がズキズキするあの感じ」などの「感じ」のことのようだ。
「感じ」という説明、定義が曖昧というか抽象的な感じがしてわかったようなわからないような感じを抱いていた。
非常に大雑把な説明であれば、色にしろ、痛みにしろ、外から入った刺激が神経を通り脳まで伝わり、脳内の電気信号を色や痛みととして感じるわけだ。
感覚を生み出す刺激の説明としては、電気信号の説明で済んでしまう。
しかし、「感じ」とはどれのことを指しているのか。
確かに、普段生きていて、いろいろな刺激に対して、いろいろ思うこと、考えること、感じることはある。
しかし、自分自身を一歩ひいて外からみることを考えたとき、「感じ」とは一体どれのことを指しているのか。
痛みと気持ち悪さ両方あるという返事を聞いて、その辛さを実際に自分で経験することができないもどかしさとともに、「あぁ、なるほど、これが『感じ』ということか」とわかったような気がする。
少し話の流れからは逸れるかもしれないが、違う種類のクオリア同士で比較してみるのも、理解が深まるのかなと思ったりもした。
例えば、「青い感じ」と「ズキズキする痛み」は、明らかに感じは違うと思う。
刺激が伝達される仕組みが違うんだから当たり前と言ってしまえばそれまでだが。
深く心に残る出来事はいろいろなことを考えさせる。
そして、考えること自体に必然性はないのに、なぜ考えるのか。
そのこと自体についても、また考えてしまう自分。