ぴろの狂人日記

2014年から頑張ってブログを継続しようと思います。「継続と習慣」を今年の目標にしたので、頑張って更新を続けようと思います。おいおいはレビューや数学や認知科学などについて記事を書いていければと思っています

「魔女の宅急便」に想うこと

 

前回は、トリックを観てきたことについて記事を書いたが、予告編で宣伝されていた中にも、気になるものがあったので触れようと思う。
 
二つあって、一つは「魔女の宅急便」。実写化されるらしい。
 
 
魔女の宅急便」は好きで、おそらく10回以上は観ている気がする。好きだからこそ、あえて実写化しないでほしかった。
そういう意味で非常にショックである。夢を壊さないでほしい。なんでもかんでも実写化すればよいというものでもないと思う。
 
 
さて、今回はなぜ「魔女の宅急便」が好きなのかということだ。
 
自分が共感するのは、全く知らない町で生活をし、最初は異邦人であったが、その土地の人とのコミュニケーションの中で徐々に信頼を築き、居場所を獲得していく、という過程を描いているところである。
 
それは単に歓迎されているということとは違うと思う。歓迎をする、ということはそれはある意味で外部の人間だと認識をしていることになる。そうではなくて、歓迎はもちろんしているのだが、いろんな感情を含めてそこにいるのが当たり前、自然な状態になっているというのが、居場所を獲得したということである。
 
もう少し言葉を変えてみれば、歓迎されている、というのはある意味ではいなくてもルーチンを回すには問題ではないということではないだろうか。
居場所を獲得するというのは、他人との関係が形成されるということだと思う。
 
 
上記のような、テリトリーの獲得の描写がなぜ好きなのかというのはあまり考えたことがなかった。
 
この記事を書くにあたり考えてみた。
 
一度外部に出て、評価が全くのゼロの状態から、自分の居場所を獲得していくなかで自分の存在価値を再認識できるからではないだろうか。
 
その土地の人と関係が築かれて、さらにその土地の土地勘なども獲得し、自分自身でもそこにいることが当たり前だと感じられるようになってくると安心するのである。
 
 
 
 
 
もう一つ気になった作品というのは「奴隷区 僕と23人の奴隷」であるが、それは次回。