ぴろの狂人日記

2014年から頑張ってブログを継続しようと思います。「継続と習慣」を今年の目標にしたので、頑張って更新を続けようと思います。おいおいはレビューや数学や認知科学などについて記事を書いていければと思っています

コミュ障

今日は家は家でゆっくりしていた。
 
昨日の天気予報では雪が降るかもといっていたので、もし雪が降れば初詣を兼ねて写真でも撮りに行こうかと考えていた。
寒いけれども良い写真も撮れそうなので、いろいろ一区切りついたところではあったので気分転換も兼ねて。
 
朝起きてみたら、とても雪なんか降る気配もなかったし、なんだかんだやるべきことはあるので家でゆっくり過ごしていた。
 
 
 
さて、今日は人との関わり方でちょっと思っていることを書こうと思う。
 
自分は、どちらかといえばあまり社交的ではない。一人でいる方が好きだ。
 
もう少し正確にいえば、人と話したり、関わるのも嫌いではない。でもその切り上げ方がわからないのだ。
 
例えば、お昼休みであるとか、どちらかに次の予定があって、ある程度自動的に、その場の関わりが終わるときなどは別に切り上げるタイミングを気にすることはない。
 
しかし、例えばパーティーであるとか、散策をしていて気になることに道草をくったり、時間制限はあるにしても、とても長くて事実上ないものとみなせる場合などは困ってしまう。
 
 
そのタイミングの取り方がいまいち分からないので、結局関わりだすとどのようにしてタイミングを見つけようか考えなくてはならないのが面倒なので、最初から関わるのを躊躇してしまう。
 
話題が途中で途切れるのも相手に興味がないということの裏返しにも取れてしまいそうだし、百歩譲って話題が途切れるのは仕方ないとしても次の話題をすぐ見つけられるのかも自信がない。
 
また席をはずすにしても、それがそのまま興味がないと取られることはないのだろうか。
 
一つの対策として、飲み会などの席などでは、お手洗いのために一度席をはずすという手(お手洗いが本当でも嘘でも)。
一度席をはずしてからであれば、その人との交流を一度打ち切って別の会話に移ることも特に不自然ではないと思う。
 
しかし、そういう何か対策が考えられる場面なんて、飲み会などのある程度特殊なシチュエーションだけだと思うのだが。
 
あとは集団で盛り上がるときも苦手。誰かが音頭をとってそれに乗っかるのは問題ないのだが、自分からはじけるのはやはり抵抗がある。
 
どこで収まりをつければよいかわからないからだ。誰かが音頭を取っている場合には周りを観察して、例えばその先頭の人が落ち着いて来たら自分も修めればいい。
 
 
書いていて思ったが、自分は周りの目を気にしすぎだろうか。相手に失礼とはいいつつも、実は周りからどう見られているか、自然にふるまえているのかといったことばかり気にしているのではないかと思ってきた。
 
 
そうか。。。書いていてなんとなくわかってきた。